箕面といえば、関西を代表する景勝地。
でも、実は200年以上前の江戸時代からすでに「人気のレジャースポット」だったってご存知ですか?
それを証明してくれるのが、1796年(寛政8年)に出版された当時の旅行ガイドブック『摂津名所図会(せっつめいしょずえ)』です。
なんとこの本の第6巻では、我らが箕面の名所が巻頭から数ページにわたって見開きでドーンと紹介されています。現代の雑誌でいうなら、完全に「巻頭グラビア」の特別扱い。笑
200年前の大坂の人たちに、箕面がどれだけ親しまれていたのか。実際に本に描かれている挿絵を見ながら、江戸時代の箕面観光を疑似体験してみましょう!
そもそも『摂津名所図会』ってどんな本?
と、その前にサクッと『摂津名所図会(せっつめいしょずえ)』についての説明を。

この本は、いまの大阪府北西部から兵庫県南東部にあたる「摂津国」の名所をまとめた書物。現代でいうところの「るるぶ」や「まっぷる」のような旅行ガイドですね。
ただ、当時はスマホはもちろん、カメラもなく移動手段は徒歩のみ。著者と絵師が自らの足で各地を歩き回って取材し、全9巻(12冊)という途方もないスケールでまとめ上げた、とんでもなく気合の入った大作なんです。
この『摂津名所図会』が当時バカ売れしたことで、日本に「名所を巡る旅行ブーム」が到来。あの有名な『東海道中膝栗毛』が生まれるきっかけにもなったとも言われる、まさに旅行ガイドの元祖とも呼べる存在です。
一人ひとりの表情がイキイキ!図会の見どころ
『摂津名所図会』の面白さは、単なる風景の記録にとどまらないところ。挿絵をじっくり見てみると、そこに描かれている人々の表情や動きが驚くほど細かく描写されています。

出典:『[摂津名所図会]』(国文学研究資料館所蔵) 国書データベース
横一列に並んで笑い合いながら作業する男たちや、赤ん坊を抱いた着物姿の女性など、当時の暮らしぶりがイキイキと伝わってくる。
そんな挿絵の余白にはその土地ゆかりの和歌や漢詩が添えられ、さらにページをめくれば名所の詳しい解説文も記されています。
江戸時代の大坂の人たちはこの本を眺めながら、「今度の休日は箕面に行きたいな〜」と妄想を膨らませていたんでしょうね!
この『摂津名所図会』、なんと箕面市立中央図書館に行けば実物を見られます(貸し出しは不可)。年季の入った和本はめくるだけでも感動するので、気になった方はぜひ!
『摂津名所図会』に描かれた箕面のスポット
それでは実際に、本に描かれている箕面の名所を順に見ていきましょう〜!
箕面特集のトップバッター!巻頭を飾る「紅葉狩り」

第6巻のトップバッターとしてドーンと登場するのが、この箕面の紅葉です。
右上には「箕面山 看丹楓(みのおやま たんぷうをみる)」と書かれています。丹楓とは赤く染まった楓(かえで)のこと。要するに箕面山での紅葉狩りですね。
挿絵をじっくり見てみましょう。登場人物たちの視線があっちこっちに散っているのがわかります。

上を見上げる人、奥を指差す人……。その姿からは、今の箕面と同じような、見渡す限りに広がる紅葉づくしの光景が目に浮かぶようです。
それにしても江戸時代のガイドブックに載るほどですから、当時すでに、いやそれよりずっと前から「秋のお出かけといえば箕面」が定着していたんでしょうね。
数百年前の人たちも(もしかしたら1000年以上前の人たちも?)同じ景色を見て感動していたんだと思うと、箕面市民としてなんかちょっとうれしい。
実はかなりすごい「聖天宮 西江寺」

続いては、「聖天宮 西江寺(さいこうじ)」周辺の景色です。右ページに描かれた建築群が、まさにその西江寺さん。今も箕面駅のすぐ近く、滝道からほんのちょっと外れた場所に佇むお寺ですね。
左下にドンと構える「一の鳥居」は、これより先が神聖な箕面山であることを示しています。
さて、地元の方は現在の西江寺に対して、「ちょっと小ぢんまりしたお寺」という印象を抱いているのではないでしょうか? でも実はここ、とんでもない歴史を持ったお寺なんです。

出典:『[摂津名所図会]』(国文学研究資料館所蔵) 国書データベース
創建はずっと遡って飛鳥時代の658年。建てたのは、修験道(日本独自の宗教)の開祖であり、日本の山岳信仰における“超レジェンド”こと「役行者(えんのぎょうじゃ)」です。
そんな役行者が建てたこのお寺は、「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」という神様を日本で一番最初に祀った場所だと言い伝えられています。
さらに奈良時代(天平年間)には、聖武天皇の命を受けて天皇の祈願所(摂津国神宮寺)に指定されるなど、非常に高い格式を誇りました。
今の親しみやすい姿からはちょっと意外かもしれませんが、そんな背景を知ると、見開きでデカデカと紹介されているのも納得ですよね!
日本初がいっぱい? 滝道のシンボル「瀧安寺」

次のページは「瀧安寺(りゅうあんじ)」。滝道の途中、頭上に赤い橋(瑞雲橋)がかかっているあのお寺です。実はここも、先ほど登場した“超レジェンド”こと役行者が、西江寺と同じ年(658年)に開いたお寺なんですよ。
……ん? 左ページの下のほうに描かれている橋って、今の赤い橋と同じ場所にかかってるのかな?

出典:『[摂津名所図会]』(国文学研究資料館所蔵) 国書データベース
パッと見は同じ場所にかかっているように見えるけど、さすがに何度か立て替えられてはいるはず。今は木の橋じゃないしね……なんて推測しながら絵を見るのもまた一興です。
そしてこの瀧安寺も、実はものすごく由緒あるお寺でして。
なにしろ「日本最古の弁財天」を祀っているんですから! 水の神様である弁財天が、箕面大滝のあるこの地で古くから信仰されてきたのも頷けます。
しかもそれだけじゃありません。なんと、日本の「宝くじ」発祥の地でもあるという!
先ほどの聖天宮(日本初の歓喜天)といい、箕面のお寺って「日本初」のオンパレードなんですね。笑
いよいよ登場! 我らが「箕面大滝」

そしてついに来ました! 見開きいっぱいに描かれた箕面大滝です。
滝の迫力もすんごいんですが、注目してほしいのは右下あたり。豆粒みたいに小さく描かれた人たちが歩いているこの道、なんだか見覚えがあるような……。

出典:『[摂津名所図会]』(国文学研究資料館所蔵) 国書データベース
あ、よく見たら下のほうに「唐人戻石(唐人戻岩)」って書いてる! 今も滝道の終盤にデデンと構えている、あの大きな岩ですね。ということはやっぱり、江戸時代の人たちも、僕らと同じ道を歩いて滝を目指していたんだなあ。
とはいえ、変わった部分もあります。さらに道の先を見てください。なんと、今はもう跡形もない「不動」と書かれたお堂が建っているんです!
「昔は滝のすぐ近くにお堂があった」という話、本などで読んだことはあったのですが、それがこうして絵に残っていたなんて。なんか感動。
日本最古の宝くじ「箕面富」

先ほどの瀧安寺のパートで「宝くじ発祥」と触れましたが、この絵がまさに、その「箕面富(みのおのとみ)」の様子です。
それにしても右側の群衆、みんな前のめりになりすぎ!(笑)。いつの時代も、一攫千金を狙う人間のギラギラ感は変わらないみたいですね。
そして左のページを見ると、

出典:『[摂津名所図会]』(国文学研究資料館所蔵) 国書データベース
お坊さんが「富」と書かれた木の箱を長い棒で突いて、くじを引いています。
↓そしてこちらが、現在も毎年秋に行われている箕面富の写真。

どうでしょう。箱の「富」の字も、上から突くアクションも、江戸時代とまるっきり一緒です。
この箕面富、開催は毎年10月10日。ミニ大福守(1,000円)を買えば参加できるみたいなので、今年はぼくもあの群衆に混ざろうかなと(笑)。
ちなみに今も昔も、当たるのはお金ではなく特別なお守り。これがまた、ものすごいご利益があるらしいですよ。
参考資料
- 日本の“くじ”は箕面山瀧安寺から(宝くじ公式サイト)
- 富くじの歴史(総務省)
1000年前はスターだった「待兼山」

先ほどの箕面富から少しページをめくって登場するのが、この「待兼山(まちかねやま)」です。石橋阪大前駅の近く、豊中と池田と箕面の境にある、あの小さな山ですね。
……正直に言うと、最初は「なんでこんな地味な山が?(失礼)」と思いました。滝も紅葉もない、ただの丘なのに。
でも調べてみて納得。この山、実は平安時代のスーパースターだったみたいです。

出典:『[摂津名所図会]』(国文学研究資料館所蔵) 国書データベース
なんとあの清少納言の『枕草子』に登場します。
「山は……」と有名な山を列挙する段(第十三段)で、小倉山や三笠山などと並んでちゃっかり「まちかね山」の名前が挙がっているんです。ほかにも『新古今和歌集』をはじめ、数々の歌集で繰り返し詠まれてきました(挿絵に描かれている人物がこのページだけ平安貴族っぽいのも、たぶんそういうことです)。
理由は、その名前にあります。「待ちかね(=待ちきれない)」との言葉遊び。来ない恋人を待つ切なさを、地名ひとつで表現できてしまう。歌を詠む人にとって、これ以上なく使い勝手のいい山だったみたいです。
つまり、観光スポットというより「あの有名な和歌の聖地!」としてドーンと描かれているんでしょうね。今の「駅近にある小さな山」というイメージとのギャップがすごくて、これまた面白い発見でした。
待兼山は、巨大なワニの化石(マチカネワニ)が出土した場所でもあります(2025年に国の天然記念物に指定)。和歌の聖地の地下にワニが眠っていたとは……。
あっぶな!! 勝尾寺を見逃すところでした……
さて、これで箕面の名所はコンプリート……と思いきや。
書き終えてからもう一度図会をめくり直していたら、第5巻の巻頭でとんでもないものを見つけてしまいました。勝尾寺です。

あぶない!! あと5秒でこの記事は「勝尾寺のない箕面特集」として世に出るところでした(箕面市民としてあるまじき行為)。
ただ、言い訳をさせてください。これには理由があるんです。
江戸時代の勝尾寺は「島下郡(しましもぐん)」、いまでいう茨木市のあたりと同じ行政区分でした。一方、これまで見てきた箕面の名所は「豊島郡(てしまぐん)」。図会は郡ごとに巻が分かれているので、勝尾寺だけ別の巻に載っていたわけですね。
1.5ページにも渡って紹介
この勝尾寺のページ、ちょっと扱いが違うんです。

出典:『[摂津名所図会]』(国文学研究資料館所蔵) 国書データベース
図会の名所はたいてい「見開き1枚」で完結するんですが、勝尾寺は見開きいっぱいに描かれたうえに、ページをめくってさらにもう半分まで絵が続いています。
もちろん、四天王寺や道頓堀といった「何ページも使われる超別格スポット」には及ばないものの、この「1.5ページ使い」はかなりのレアケース。
なぜここまで推されているのか? その理由はタイトルの横に書かれていました。「西國巡礼廿三番札所」。
つまり、全国から巡礼者が集まる「西国三十三所」のひとつだから。江戸時代の時点ですでに、これだけページを割く価値のある大人気スポットだったというわけですね(まあ、単に境内がデカすぎて見開きに収まらなかっただけかもしれませんが笑)。
枠からはみ出す山
さらに、この見開きにはもうひとつ気になるところがあります。

出典:『[摂津名所図会]』(国文学研究資料館所蔵) 国書データベース
基本的に図会の挿絵は、四角い枠の中にきっちり収められています。にもかかわらず、ここだけ枠を突き破っている。何か意味があるはずだと思って、図会を最初から最後まで見返してみました(しんどい!笑)。
結果、この表現が使われていたのは、見つけたかぎり他に3か所だけ。剣尾山(能勢町)、摩耶山(神戸市)、多田院の神廟(川西市)です。
どれも摂津を代表する霊山ばかり。しかもはみ出しているのは、4か所とも例外なく「山」でした。
枠に収まりきらないほどの何か。絵師がそれを描こうとしたのだとしたら、勝尾寺はやっぱり特別な場所だったということになりますね!
まとめ
はい、ということで、以上!! 江戸時代のガイドブック『摂津名所図会』で巡る、箕面タイムスリップ旅でした!
当初は挿絵をポンポン貼って、「ほら、ここも載ってますよ〜」くらいのテンポでサクッと紹介するつもりだったんです。でも、書きながら調べていくうちに新しい発見がありすぎて……。気づけばこんな大ボリュームになってしまいました(笑)。
いやあ、書いてる本人が一番楽しんでたかもしれません。
さて、冒頭でも触れましたが、この『摂津名所図会』の原本。なんと箕面市立中央図書館で実際に読めるんです!!
もうですね、こんなに知的好奇心をくすぐられる本、なかなかないと思います。箕面の名所はもちろん、それ以外のエリアも「昔ってこんなんやったんか〜!」とか「あれ? 今とほぼ変わらんくない?」とか、現在の姿と見比べるのがとにかく面白いんですよ。
ぼくも図書館でページをめくるたび、「うお〜」「やべえ〜」と心の声が完全に外へ漏れ出ていました(笑)。
ちなみにこの本、普通の本棚には並んでいません。カウンターで「摂津名所図会、読みたいんですけど……」と声をかけたら、奥のほうの部屋から引っ張り出してきてくださいます。
その「奥から出てくる特別感」も含めてなんかワクワクするので、気になった方はぜひ、図書館でこの興奮を味わってみてください!