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箕面の古墳、なんかクセが強いらしいので自転車でぜんぶ回ってみた

2026.06.04

高槻市の「今城塚古墳」をはじめ、お隣の豊中市や池田市には、立派な古墳が街のあちこちにゴロゴロありますよね。

ひるがえって、我が街・箕面市。
……あれ? 箕面に古墳って、ありましたっけ?

実は箕面市、歴史的な背景(理由は後ほど!)もあって、立派な古墳が極端に少ない「古墳の空白地帯」なんです。

しかし、だからといって侮るなかれ。

数が少ない代わりに、現代の街並みへの溶け込み方が尋常じゃない「クセ強古墳」が、なんと3つだけ生き残っているらしいのです。

山の中で石室がむき出しになっていたり、神社と一体化していたり、はたまた普通の民家のお庭にあったり……。

いやいや、ホンマかいな。

ということで今回は、そんな箕面のレアすぎる個性派古墳トリオを、カメラ片手に自転車でコンプリートしてきました!

今回のルート:箕面を北から南へ縦断!

今回巡るルートはこんな感じ。

一番北の山裾にある「新稲古墳」からスタートして、桜ヶ丘面へ向かって南下していく全長約2kmほどの道のり。自転車ならサクッと回れる距離感です

果たして1400年前の古墳たちは、どんな顔をして令和の街並みに潜んでいるのか!?

いざ出発!!

エントリーNo.1:新稲古墳

さっそく1つ目の「新稲(にいな)古墳」へ。

マップを頼りに坂道を登り、入り口らしき場所に到着しました。

……いや、草ボーボーですやん。

ほんまにこんなところに古墳なんかあるんかな? 一抹の不安を抱えつつ、意を決して足を踏み入れます。

奥へ奥へと進み、目を皿のようにして周囲を歩き回ってみますが……ない。どこにも古墳らしきものが見当たりません。

え、もしかして台風の強風で吹き飛ばされた? それとも数年前の地震で完全に倒壊してしまったとか? そんな最悪のシミュレーションが頭をよぎったその時。

こ、これはー!!!

無惨な石の瓦礫の山。

ああ、恐れていた通り、古墳は跡形もなく崩壊してしまっていたのか……。

一部あきらかに現代のコンクリ片っぽく見えますが、6世紀の建築技術の高さには驚かされるばかりです。

飛鳥時代にこれほど近代的なブロックが存在したという歴史的発見に震えつつ、開始10分で今日の企画が終了したことを悟りました。

完全に意気消沈し、トボトボと入り口まで戻ってくると……あれ?

入ってすぐのところ、バッチリ道が分岐してたんですけど……!

も、もしや本物の古墳があるのはこっちのルート? だとしたら俺、アホすぎんか……?

現れたのは、想像のナナメ上をいく姿

分岐していた道を歩くこと、わずか10秒。

いや、めちゃくちゃ古墳あるやないか〜い。

さっきの壮大な絶望と考察は何だったのか。あまりの近さに膝から崩れ落ちそうになりながらも、ついに本物とご対面です。

見てください、この圧倒的なビジュアル。

普通、古墳といえば土がこんもり盛られた「お山」を想像しますが、ここは中の「石室」が完全にむき出しになっています。

しかも天井の巨石には、大木がガッツリと根を張って完全に一体化。

盆栽のスケールがバグったのか、それともラピュタのセットなのか。1400年の時が作り出した野生味が爆発しています。

ぽっかり空いた口から古墳内部に入ってみると、意外にもしっかりとした空間が残っていました。

さて、ひとしきり写真を撮り終えたので、入り口にあった解説看板をじっくり見てみます。

なるほど、そういうことか。

お堅い歴史用語を3行で要約すると、こういうことです。

  • なぜ石がむき出し?:長い年月で上の土(墳丘)が全部流されちゃったから。
  • 中身はどうなった?:大昔からオープン状態で、しっかり泥棒(盗掘)に入られていた。
  • でも奇跡が:それでも幸いなことに「土器」と「耳飾り」がちゃっかり見つかっている。

泥棒に入られてもなお、耳飾りだけはひっそりと死守していた新稲古墳。

こんなすっぽんぽんのワイルドなルックスをしておきながら、ワンポイントのアクセサリーだけは絶対に手放さないという謎の美意識。

……飛鳥時代のファッショニスタやんけ。

エントリーNo.2:稲荷社古墳

次なるターゲットは、桜2丁目の住宅街に位置する「稲荷社(いなりしゃ)古墳」。なんとここ、正丸稲荷神社の境内にあるそうなんです。

お店の外観
お店の外観
お店の外観
お店の外観
お店の外観



前回の新稲古墳が「野生むき出しのスッポンポン」だったので、次はどんなワイルドな姿を見せてくれるのかと期待に胸を膨らませて到着すると……。

え?
なんか、めっちゃ厳重にパックされてる。

巨大な黒い防草シート(?)にすっぽりと覆われ、漂う圧倒的な「工事中」感。さっきのワイルドさはどこへやら、現代のテクノロジーによって完全に保護されています。

ちなみに昔の姿はこちら。

出典:箕面市教育委員会 1991 『箕面の古墳』

かつては木々が生い茂る「もっさもさの茂み」だったようですが、今は見る影もなくツルッツルです。

気を取り直して、神社の入り口にあった解説看板を読んでみましょう。

ふむふむ。またもやお堅い言葉で書かれていますが、この情報をベースに現在の状況を推察すると、ここで「とんでもない劇的リフォーム」が行われたことが分かります。

まず、神社の社殿を建てるスペースを作るため、古墳の入り口へと続く通路(羨道)は意図的に取り払われて(あるいは埋められて)消滅。

しかし、大昔の偉い人が眠っていた一番神聖な石の部屋(玄室)はそのまま残され、なんとそこに後から神様がやってきて「御神体」が安置されているというのです。

※すごい雑なイメージ

肝心の骨は1400年の間に土に還ったのか、それとも床の土砂の下に埋もれているのか。

すでに骨がないなら「究極の居抜き物件」、今も下で眠っているなら被葬者と神様による「奇跡のシェアハウス状態」というわけです。想像すればするほど、なんとも数奇なめぐり合わせを感じます。

しかも、御神体がある手前、おいそれと床下を掘り返す(発掘調査する)こともできません。神様の足元に、1400年前のお宝が手付かずで眠っているかもしれないなんて……ロマンがありすぎますね。

お墓を神殿にリフォームして現代までちゃっかり生き延びる、その強かさ。新稲古墳とはまた違うベクトルで、とんでもなくクセの強い古墳でした

エントリーNo.3:中尾塚古墳

最後に向かったのは、桜ヶ丘3丁目の住宅街にたたずむ「中尾塚(なかおづか)古墳」。事前のリサーチによると、なんと『一般のお宅の庭先にある』らしいんです。

いやいや、庭に古墳て。そんなわけないやろ〜と思ってたら、ホンマにありました。庭に。

日焼けで看板の文字が読めない

ただ、ガチの個人宅のお庭なので、プライバシーの観点から、ここでは全体像の写真を掲載するのは控えておきます。

そもそもなぜこんな状態になっているかというと、昭和45年の宅地開発の際、土地の所有者さんのご厚意で「石室の一部を庭に残して保存しよう」という粋な計らいがあったからだそう。

そんな奇跡的な経緯で残っている古墳ですが、全体像をお見せできない分、サクッとこの古墳のヤバい歴史をひとつ。

出典:1970年当時のようす/箕面市教育委員会 1991 『箕面の古墳』

発掘当時の記録によると、ここ、古墳時代のお墓のはずなのに、なぜか中世の「土釜」や「火を焚いた跡」が出土してるんです。

つまり、中世の人がお墓の中で勝手に火を焚いて生活していたと推測できるわけで……。

行きずりの山賊が暖をとっていたのか、はたまた「屋根付き・直火OKの穴場キャンプサイト」として使い込んでいたのか。

※信じられなくらい雑なイメージ

いずれにせよ、先人へのリスペクトなさすぎやろ。

箕面の古墳、ちょっと自由すぎやしませんか。

はい、ということで箕面が誇る(?)クセ強古墳トリオのご紹介はこれにて完結です。

ここで、冒頭のリード文でお話しした一つの疑問に立ち返りましょう。

なんで箕面には古墳が少ないのか?

お隣の池田市や豊中市、あるいは逆サイドの茨木市や高槻市には、立派な大古墳がたくさんあります。

なのに、なぜ箕面は「古墳の空白地帯」と呼ばれるほど極端に数が少ないのか。

その答えは、ずばり「国境の辺境地だったから」。

2つの大国に挟まれたバッファゾーン

古墳時代、西の池田・豊中エリアには「為那国(いなこく)」、東の茨木・高槻エリアには「三島国(みしまこく)」という2つの大きな国がありました。

それぞれの国には権力者がいたため、ドデカい大古墳がバンバン作られたわけです。

一方、その中間に位置する箕面はというと……まさに2つの国の「国境地帯」。

いわば大国同士のバッファゾーン(緩衝地帯)のような辺境だったため、巨大な古墳を作るような権力者がそもそもいなかったんです。

クセ強トリオは「渡来系一族」の激レアな生き残り

では、今回紹介した古墳たちは一体誰のお墓なのか?

実はこれ、6世紀ごろにこの辺りで力を持っていた「秦氏(はたうじ)」という渡来系一族が作った古墳(桜ヶ丘古墳群など)の一部と言われています。

渡来系一族の有力者・秦酒公(はたのさけのきみ)の肖像画
渡来系一族の有力者・秦酒公(はたのさけのきみ)の肖像画。箕面の古墳も、この秦氏一族が作ったものとされています。(菊池容斎 画 / Wikimedia Commons より CC BY-SA 4.0)

ただでさえ数が少なかった箕面の古墳ですが、その後の宅地開発などの波に飲まれ、残念ながらそのほとんどが消滅してしまいました。

つまり……。

すっぽんぽんで山の中に鎮座していたり、
石室が神社の本殿になっていたり、
一般家庭のお庭にすっかり同化していたり。

一見すると「自由すぎるやろ」とツッコみたくなるあの3つの古墳は、大国に挟まれた辺境の地でひっそりと作られ、激動の時代すらもくぐり抜けて奇跡的に現代へ残った「超・激レアなサバイバー」だったのです。

そう思うと、箕面のクセ強な古墳たちが、なんだか少しだけ尊く見えてきませんか?

参考にした資料(ちゃんと勉強しました)

※脱線と妄想は筆者の責任です。資料は何も悪くありません。

おまけ:同じ「お墓」でもここまで違う

ちなみに先日、京都にある明治天皇の古墳(伏見桃山陵)にも行ってきたのですが、そのスケールの大きさにはただただ圧倒されました。

片や、見上げるほどの巨大な階段と森に守られた荘厳な御陵。
片や、黒い防草シートに包まれ、神様とシェアハウスする地元のドン。

威厳あふれる御陵に背筋を伸ばしつつ、日常に溶け込む地元の古墳にホッとする。

同じ「お墓」でも、いろんな歴史の形があって面白いですね。

あとがき
1991年に真面目に古墳を調査・執筆された教育委員会の皆様。30年以上の時を経て、まさかご自身の研究がこんなふざけた記事のダシに使われるとは夢にも思わなかったことでしょう。本当に申し訳ありませんでした。

箕面が好きすぎるあまり、勢いで「MINOH LIFE」を立ち上げてしまった人。 本業はフリーランスの編集者・ライター。Webメディアのディレクションをはじめ、企画から取材・撮影・執筆までをまるっと手がけています。 【略歴】 ・新卒で旅行会社『阪急交通社』にて法人営業に従事 ・その後、アウトドアメディア『CAMP HACK』編集部を経て独立 【主なお取引先メディア・企業さま】 ・ギズモード・ジャパン ・GO OUT ・楽待新聞 ・サンケイリビング新聞社 ・PR TIMES ・WordPressテーマ TCD ・バイチャリジャーナル ・訪日ラボ ・ナレソメノート ほか多数

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