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日本最古の「町石」を追え!勝尾寺表参道、36基の道しるべを巡る旅

2026.04.30

自転車で箕面市の西国街道を走っているとき、とある看板を発見しました。

そしてその看板には、ざっくりこんなことが記されていました。

「ここから勝尾寺へと続く表参道には『町石(ちょうせき)』という古い道しるべが建っている。しかも、勝尾寺の近くに残る8基は鎌倉時代のものであり、なんと日本最古の町石である——」

日本最古の町石が、この箕面市に(しかもひっそりと)残っているだと……!?

これは箕面市民として、なんとしても拝まない訳にはいかない……!!

そもそも勝尾寺の表参道に眠る「町石」とは?

町石(ちょうせき)って何?

一言でいうと、昔の人が置いた「ナビ 兼 セーブポイント」です

「1町(約109m)」という当時の単位ごとに建てられた道しるべで、麓(ふもと)のスタート地点から勝尾寺までの約4kmの道のりに、全部で「36個」置かれていました。

「あと何町で着くで!」と教えてくれるだけでなく、歩き疲れた人々はこの石に向かって拝み、次の109mを歩くパワーをもらっていたそうですよ。

なんで勝尾寺までの道のりに石が置かれたの?

今でこそ「勝ちダルマの勝尾寺」でおなじみですが、実は勝尾寺は日本最古の巡礼ルート「西国三十三所」の第23番札所。

つまり勝尾寺へと続く表参道は、何百年も前から全国の人が「どうしても拝みたい!」と白装束でこぞって歩きに来る、超メジャーな“祈りのメインストリート”でした。

だからこそ、これだけ立派な道しるべ(町石)がズラッと整備されていたんですね。

そのうちの8個は「日本最古(国指定史跡)」

そしてここからが本題。

この表参道に残っている町石のうち、勝尾寺の目の前にある8基はなんと鎌倉時代の1247年(宝治元年)に作られたもの

あの世界遺産・高野山の町石よりも歴史が古く、現在確認されている中で「日本最古の町石」なんです!

国の史跡にも登録されているガチの歴史的お宝が、箕面の山にひっそりと眠っているとは。地元民のぼくも、恥ずかしながら全然知りませんでした。

ちなみに…他の町石も普通にすごい!
最古の8基以外も、実は多くが江戸時代などに作られたもの。何百年前の道しるべがそのままゴロゴロ残ってるなんて、なんかロマンがありますよね。

【ロケ決行】日本最古の町石、ぜんぶ見つけるまで帰れまてん!

そんな史跡が箕面にあると知ってしまったら、行くしかない。というわけで、カメラ片手に現地調査を決行してきました!

……ただし、ノープランで。

さっそくダミー(?)の石に惑わされる

表参道の起点となる「大鳥居」にやってきました。

勝尾寺への参道はいくつかあるみたいですが、ここから北へ向かう道こそが正式な「表参道」。そしてその出だしは、意外にもふつうの住宅街からスタートします。

めっちゃ街中にある「勝尾寺大鳥居」

どーんとそびえるこの大鳥居、現在の姿は江戸時代の1666年に再建されたもの。さらに遡ると、最初に建てられたのはなんと鎌倉時代の1245年だそう。何度か修理や改修があったとはいえ、すごい歴史ですよね。

さて、看板を見てみると、お寺に近づくにつれて番号が小さくなるみたいです。つまり、この出発地点にある石はおそらく36番目かな?(ということは勝尾寺の前にある町石が1番目)

さっそく周りを見渡すと、それっぽい石がいくつかある。……どれだ?笑

これはおそらく違う

あ、端の方にある石の横に、「勝尾寺 旧参道町石」と書かれた木の棒が立ってますね。

これか!

ということは、どうやらこれが町石っぽい!

かろうじて「三十六」と刻まれているのがわかる

さて、これで1つ目。残り35個!

あっさり2つ目を発見

大鳥居を出発してほんの束の間、ふと反対側の歩道に目が留まりました。ん、あれかな?

近づいてみると正解。春日神社の入り口に、2つ目の町石が立っていました。うーん、これは分かりづらい!笑

体感的に100mほどしか進んでいないので、順当にいけばこれが「35番目」の町石だと思います。

平安時代、この一帯が藤原氏の荘園(私有地)だった縁で建てられた春日神社

街中ステージは、なかなか手強い

春日神社をあとにして、てくてく歩くこと数分。あれ、次の町石が見つからない。

体感的にはとっくに110mは越えているはず。もしかして、見逃した?

と、不安になりながら歩を進めていると、ようやく次を発見!

なんの変哲もない歩道に立っているのね

けどあれだな。春日神社からここまでの距離を考えると、2〜3個は飛ばしてる気がするぞ。注意深く見てたんだけどなあ。

いや待てよ、設置されてから時間が経ちすぎて、町石自体が無くなってるんじゃないか?

追記:この仮説、半分正解で半分外れでした。というのも執筆時に調べたら、この区間に本来あるべき2つのうち、現存しているのは1つだけ。たしかに1つは無くなっていたんですが、残っている1つを普通に見逃してました。笑
そんな考えを巡らせつつ、さらに歩くことしばし。今度は道端ではなく、お寺(帝釈寺)の敷地内で次の町石を発見しました。
帝釈寺の境内に、ちょこんと立っていた町石
ちなみにこの帝釈寺、調べてみたらかつては勝尾寺の「別院」だったお寺なんだそう。山上の勝尾寺を「内院」、ふもとの帝釈寺を「外院(げいん)」と呼んだそうで、この帝釈寺がある「粟生外院(あおげいん)」という地名の由来にもなっているんだとか。
由緒ある雰囲気の帝釈寺

「あおげいん」って独特な地名やなあと前から思ってましたが、まさかこの帝釈寺が地名の由来になっていたなんて……。

いよいよ、山道へ突入!

帝釈寺をあとにすると、あたりはだんだん住宅街から田園風景へ。途中でさらに3つほど町石を見つけながら、スタコラ歩いていきます。
そしてしばらく進むと、目の前にこんなゲートが現れました。
ここからは別世界
ゲートをくぐると、そこからは一気に山道へ。両側を木々がびっしり覆っていて、足元は砂利道。これまで歩いてきた道とは、空気感がまるで違います。
鬱蒼と生える木々
ただの細い山道に見えても、ここは昔、白装束を纏った巡礼者たちで賑わっていたメインストリート。そう思いながら歩くと、なんだか不思議な気分になりますね。
山道にも町石が!
木漏れ日が差し込んで、空気もひんやり気持ちいいし、ハイキングコースとしてもこんなに最高なのに、すれ違う人はほとんどいない。今はみんな車でビューンと登っちゃうから、こうして自分の足で歩く人は少ないんでしょうね。
なんか、もったいない気もするなあ。
気持ちいいなあ
……と、しんみり黄昏ながらゼーゼー登っていると、

ブオーン!

木々の向こうから突然、車の音。 そう、すぐ横を現代のドライブウェイ(府道)が走っているんです。

いや、こっちは江戸スタイルで汗だくになりながら登ってるのに、横を快適にぶっ飛ばしていくの、理不尽すぎません?笑

江戸時代の偉人も歩いた、ハードな登り道

しばらく登っていると、目の前に分岐が現れました。

「旧参道」と「古参道」の分岐。町石が立つ「古参道」(左)へ進む

看板を見ると、ここで表参道が「旧参道」と「古参道」に分かれるみたい。町石が立つのは左の古参道なので、こちらに進みます。

それにしても、山に入ってからは町石がかなり歯抜けになっていますねえ。110m間隔のはずなのに、見当たらない区間がちらほら。

おまけに、山なので当たり前なんですが、ひたすら上り坂が続いてなかなかハードッ……!

そういえば、こんな話があります。

江戸時代後期に活躍した有名な洋風画家・司馬江漢も、実は1789年にこの道を登っているんです。彼が後に著した『西遊旅譚』には、当時の様子について「道はとても狭く、ようやくの思いで岩をよじ登った」という愚痴が書き残されているほど。

司馬江漢が描いた箕面大滝(滝の上に「箕山瀑布」の文字)。/『西遊旅譚』(国立国会図書館)より

岩をよじ登るて。ハードすぎるでしょうに。

そんなことを考えながらゼーゼー登っていると、ん?

木のうしろに、何かが見えるような……? 近づいてみると、

おお、隠れ町石、発見! シャイなやつめ!

しかしお目当ての「鎌倉時代の町石」は、まだ一本も出てきていません。

いつ出てくるんや、ラスボス。

800年前の町石、怒涛のラッシュ

ぼやきながらさらに登ること数分。

ふと前方に、これまでとは少し雰囲気の違う石が立っているのが見えました。

ビンビンにオーラを感じるぜ

これはもしや……?
近づいて確認してみると、

「七町」の文字!

頭の部分がぷっくり丸く膨らんだ独特のシルエット、刻まれたサンスクリット語(梵字)、約800年の歳月を刻んだ風格。これまでの町石とは、もう佇まいからして完全に違います。

国史跡である旨が書かれた看板

看板にもしっかり「国史跡」の文字。これが、現存する日本最古の町石の正体ですね

そして、ここからは怒涛の“町石祭り”です。

説明1
説明2
説明3
説明4
説明5

1枚目のキャプションがここに入ります。


01 / 03

それにしても、今まであんなにスカスカやったのに、なんで鎌倉時代のこんな古いのが完璧に揃ってるんでしょう。

気になって調べてみると、どうやらこの場所自体に手がかりがありそうです。

というのも、七町石が立っているこのあたりは、勝尾寺前山(陣場山)の「傍示谷(ほうじだに)」と呼ばれる場所。「傍示」とは、「ここから先は寺の領地ですよ」という結界を示す印のことなんだそうです。

石垣で整備された美しい道

つまり、ここから先は勝尾寺のガチの聖域。だからこそ手厚く管理され、近代の開発からも守られて、800年前の姿のまま生き残ったのでは? とか思ったり思わなかったり。

いずれにせよ、よくぞ鎌倉時代から生き抜いてきたな! 君たち!!

「一町」の文字。鎌倉時代の町石、コンプリート目前!

そして、とうとう一町石も発見!

七町から一町まで、鎌倉時代の町石8基中、これで7基をコンプリート。あとは勝尾寺の前にある最後の1基(下乗石)を見つけるだけです。

ついに、勝尾寺に到着!

勝尾寺の山門がチラ見え

ゼーゼー言いながら登ってきた表参道も、ここでようやくゴール。山門が見えた瞬間、汗だくでも一気に達成感が込み上げてきます。

さて、横断歩道を渡ると、3つの石が並んで立っていました。

一番左に立つのが、鎌倉時代の下乗石

このうち、一番左の風化した石こそが、鎌倉時代に建てられた下乗石。今回探していた、日本最古の町石8基中の最後の1基です。

ちなみに「下乗石」とは、「どんなに身分が高い人でも、ここからは馬や輿から降りて自分の足で歩いてや」というルールの印。つまり、「いよいよ仏様のお膝元に入るんやから、ちゃんと歩いて敬意を払ってちょうだいよ」ということですね。

真ん中の「下馬」石は、綺麗なので割と最近のものかも? 右は「大阪みどりの百選」の記念碑です。

それにしても、真ん中の「下馬」と書かれた立派な石、自己主張が強すぎやしませんか? 国史跡がなんか脇役みたいな扱い受けて可哀想ですね。

これで、大鳥居から約4km、いくつかは無くなっていましたが、36基分の町石を辿って無事にゴール。

いやー! さすがにバテたけど、なんやかんやで楽しい道のりでした。

ちわっす

そんな旅の最後にお出迎えしてくれたのは、勝尾寺の象徴でもあるダルマたち。なんだか、「お疲れさん」と言われているような気がしました。

あとがき①:キューズモールのすぐそばで

ロケの帰り道、自転車でキューズモールの横を通りかかったとき、ふと『箕面山への道しるべ』と書かれた看板と、その下に古い石碑がポツンと立っているのを偶然見つけました。

なんでも勝尾寺にある鎌倉時代の町石を除けば、これが箕面市内で最古の道しるべなんだとか。

あんなに山の中で必死に石を探していたのに、まさかこんな日常のド真ん中、買い物のついでに通るような場所にあるなんて……(笑)。

でも、一度何かに興味を持って意識し始めると、今まで風景の一部だったものが急に意味を持って目に飛び込んでくるから面白いですよね。

あとがき②:めちゃくちゃGoogleマップに書いてた

そして、この記事を執筆している最中に、とんでもない事実に気がついてしまいました。

ルートの確認をしようとGoogleマップを開いたところ……なんと、ご丁寧に全ての町石の位置がピン留めされているではありませんか。

いや、まさか天下のGoogle先生が、あんなひっそり佇む石ころ(失礼)まで網羅しているとは思いませんでした。現地で目を皿のようにして道路を凝視していたあの必死な時間は一体……(笑)。

ということで、せっかくなので町石を全てピン留めしたマップを作ってみました。

記事の追体験に! 勝尾寺町石コンプリートマップ

「この記事の通りに町石を辿ってみたい!」という方は、ぜひこちらのマップを片手に表参道を歩いてみてくださいね。

ちなみに山道に入ると町石がごっそり抜けている区間がありますが、ポツポツと立っている看板の「勝尾寺」と書かれた方へ進めばOKです!

DATA
NAME
勝尾寺表参道
DISTANCE
約4km
TIME
片道 約1.5〜2時間
START
勝尾寺大鳥居
Google Mapsで見る
GOAL
ACCESS
スタート地点(大鳥居)まで、阪急バス「新家」バス停から徒歩約2分

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